お客様の声(2009)
それぞれのメモリアル・ダイヤモンドには、それぞれの想いが込められています。ダイヤモンドを製作された方だけが知るその価値。お読みになっていただけると幸いです。
〈文章、写真に関してはすべてご依頼者の方の了解を得て掲載しています〉
一時は本当に良かったのか、と考えもしたけれど…
この度はありがとうございました。
まだまだ周りの理解もなく、遺骨を加工するなんてとどれ程言われたことか解らず、私までもが本当に良かったのだろうかと考えさせられました。
しかし、私の中では心の整理がつき、これからは、このダイヤが光り輝き、照らして見ていてくれると思い、再スタートを切ろうと思います。
ありがとうございました。
2009年11月 N.O.様 (大阪府)
昨日までそばにいた人をそのままお墓にいれることはできなくて
この度は素敵なダイヤモンドにしていただき、ありがとうございました。
私と、アルゴダンザ様との出会いは、まさに運命に導かれたものでした。
主人を2月に突然の病で亡くしました。それは、本当に突然の出来事でした。
昨日まで、いやつい数時間までは、いつものように冗談を言い合い、夕食の支度をしていたのに、体の不調を訴えてから、33時間後にはさよならも言わずに帰らぬ人となってしまいました。茫然と過ごすしかない私は、何もする気がおこらず、テレビさえうっとうしくなっていました。そんな私が、何をおもったのか、たまたま録画した番組で亡くなった人の供養の形として遺骨からダイヤが作れることを知ったのです。
いつも、どこに行くのも一緒だった私と主人、迷いはありませんでした。
仲良く歳をとって、お互いにいたわり合いながら生きていく。昨日までそばにいた人をそのままお墓にいれることなど、私にはできなかったのです。
遠方にもかかわらず、遺骨をとりにきていただき、私の話を十分にきいていただきました。
遺骨をおあずけしてからも、スイスに出発したときも、ダイヤモンドになっていく過程も、帰国したときも、おりにふれて連絡をいただきました。
私には、まるで主人が話をしてくれているように感じることができたのです。
薄いブルーのダイヤモンドになった主人を迎えたとき、私は確かに主人自身がそこにいることを感じていました。
もう泣かないで、しっかり生きていきていきなさい。と励ましてくれているのです。
生きていくのが辛い時、何かに迷った時、私はダイヤモンドに話しかけることで前をむいていくことができそうな気がしています。
御社と出会えて本当に良かったと思っております。一緒に泣いてくださった担当の方、及びスタッフの方々に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
2009年11月 藤井弘子様 (広島県)
来世で再び出逢い、また夫婦になる時が来るまで…
今年2月、交通事故で主人が他界しました。
なんという巡り合わせでしょうか?アルゴダンザ・ジャパンと出会い、8月に私達家族の元へ主人が ダイヤモンドになって帰ってきました。子ども達の運動会にも間に合いました。
主人がカメラのレンズから見た校庭の風景を、今年は私が主人に代わってシャッターを切りました。ペンダントとして胸に輝く主人は、これからも、私の大切なパートナーです。いつでも、どこでも、一緒です。離れることはありません。来世で再び出逢い、また夫婦になる時が来るまで、少しの辛抱・・・。
このペンダントさえあれば、真っすぐ、前を見て、地に足をつけて、子ども達と歩いていけます。
2009年10月 C.Y.様 (京都府)
妻が素敵な輝きを放って帰ってきました
妻が素敵な輝きを放って我が家に帰ってきました。
結婚して24年、子どもの成長と仕事、老いていく両親の世話、通信で大学に通い介護の資格を取り毎日を忙しい日々で過ごしていたある日、体に痛みが走り検査をしてもらった所、癌と宣告され手術や抗癌剤の辛さにも耐えやっと退院した半年後に再発、なのに緩和ケアでも毎日辛いはずなのに明るく振舞い最後まで家族のことを思い『幸せだったよ』『再婚はしないでね』の言葉を残しこの世を去りました。
亡くなった後は仕事に戻っても満たされず寂しさだけが募る毎日でした。
そんな時、TVでアルゴダンザの事を知り、ただお墓に遺骨を埋葬してしまうより手元に何らかの形で残して置きたいと思い申し込みました。
最初、1年から1年半位かかると聞かされていましたが途中途中でメールで経過を連絡いただき約2年後に我が家に帰って来ました。
その輝きは世界に一つしかない光を放ち、太陽の下、蛍光灯の下など場所により違う輝きを放ちとても素晴らしい出来栄えでした。
自分と常に生活していくには勿論のこと、子ども達にも伝えていく我が家の家宝になりました。
金額的に高いか安いかはその人の価値観だと思いますが、自分にとっては毎日妻と一緒にいられると思えばお支払いしたお金の何十倍もの価値あるものだと思います。
妻を綺麗な形にしていただいて本当にありがとうございました。
2009年10月 K.I.様 (愛知県)
21年を生き切った息子
息子 正和 生きていたならば2009年8月で26才になります。
2005年1月 国際基督教大学の3年生 冬晴れの暖かい日 あっけなく旅立ってしまいました。
筋ジストロフィー症 21才と5ヶ月の命でした。
2006年、正和の姉、絵里子が「かわいくて わがままな弟」を講談社から出版。遺骨は私たち家族の思い出の中にある、クジラとペンギンの入れ物に納め、正和の写真と共に自宅の机の上に置き、一段落ついていました。(遺骨は私が亡くなった時、一緒に散骨してもらうつもりでした。)
でも、すばらしいことが待っていました。この度、知人の紹介でブルーに輝くダイヤモンドのペンダントになり、私の元に帰ってまいりました。
8月 私と共にボストン在住の姉、絵里子の結婚式にも行ってきました。
飛行機の中、何度もペンダントが無事私の首についているかどうか確認しながら、それはそれは緊張する時間でした。
このダイヤモンドの話をすると皆さん涙ぐみながら「いいことをしたね。」としみじみおっしゃってくれます。
本当にありがとうございました。
2009年9月 金澤喜代様 (東京都)
~お便り中の書籍の紹介~
出版社 / 著者からの内容紹介
だいたい、死にそうで死なないのが僕なんよ。自分を守ることは憎らしいくらい上手なんよ!
全身の筋肉がだんだんと衰えていく難病筋ジストロフィーと闘いながら、つねに目標に向かって挑戦し続け世界に目を向けた国際基督教(ICU)大生の奮闘記!
僕は明るく、楽天的で、気が強い。わがままで気分屋さんだけど、過酷な病気と闘うにはこれくらいじゃないとやっていけないと信じている。
(リンクをクリックするとアマゾンにて詳しい内容がご覧になれます)
夫の想いを叶えることができ、本当にうれしいです
ずっと この時を待っていました。
夫は、私の左手中指に、ぴったりとおさまっています。
「ずっと 一緒にいたい」というのが、夫の口癖でした。
今、夫の想いを叶えることができ、本当にうれしく思っています。
これから、本当にいつまでも二人でひとつになれました。
涙が止まらないくらい 感激しています。
ありがとうございました。
2009年9月 S.H.様 (広島県)
亡き娘のボーイフレンドにメモリアルダイヤモンドの事を教えられ・・・
2007年12月、18歳11ヵ月。念願だったイギリス留学がほぼ決まった頃、娘のからだに異変が起きた。診断の結果は悪性脳腫瘍。出来た場所が悪く、手術が出来なかった。
こんなに活発で明るい娘が何故? 何故この娘じゃなきゃいけないの? 何度繰り返したことか! 右半身麻痺と失語症で車椅子生活になってしまったが、たくさんの方の支えもあり母娘で短大に通った。家族みんな娘のこと最優先でいろんな所に連れて行ったりもした。
2009年1月。20歳の誕生日を迎えた頃から坂道を転がるように症状が悪化。
闘病生活1年3ヶ月の3月、20歳2ヶ月で娘は星になってしまった。
七七日忌、納骨が間近、私の手の届かない遠くに行ってしまう気がして、悲しさと寂しさで心が潰れそうな時、娘のボーイフレンドからのメールでメモリアルダイヤモンドの事を知った。私の中の空っぽの部分がふわっとあたたかくなり、少し気持ちが楽になった。
待つ事4ヶ月余り。娘は美しい輝きを取り戻して帰ってきた。何と美しい透き通ったブルー! これからずっと、私の命のある限り胸元で輝き続ける。娘の行きたかったいろいろな所へ一緒に行きたいと思う。
自宅まで娘を迎えに来てくれ、病気に前向きに立ち向かった娘の事を聞いてくれ、そして優しく娘を連れて行ってくれたスタッフの方に感謝!ありがとうございました。
2009年9月 栗原千春様 (神奈川県)
20年ぶりに我が子をこの手に
素敵なダイヤモンド ありがとうございます。
私は20年前、第2子を死産いたしました。その子を抱いたのは1度だけでした。悲しくてずっと泣いていたのを憶えています。
その後、2人のこどもが授かりましたが、忘れる事はありませんでした。
ある時、アルゴダンザを知り、早速連絡を取りました。古い遺骨でも大丈夫との事で、お願した所、20年ぶりに愛しい我が子がこの手に戻ってきました。これからは、今まで墓の下でさびしい思いをした分、大事に身につけていたいと思います。
本当にありがとうございました。
2009年8月 Y.K.様 (千葉県)
2016年11月 杉森尚子様 (神奈川県)
お墓には入れたくなくて
1歳3ヶ月の娘が亡くなり、お墓をどうしようかと考えていた時に、テレビで手元供養を取り上げていたのを観て「私が生きている間はずっと側に置いておこう」とダイヤモンドにする事にしました。土地柄反対もされたのですが、娘が闘病中毎日病院に来てくれた私の両親と、娘のお葬式をあげてくれたご住職に相談し、勧めもあって申し込みました。小さかった娘のお骨は量が少なく、ダイヤモンドを作る炭素が取れないかもしれないと言われ、半分諦めていたのですが「製作できますよ」と電話を頂き本当に嬉しかったです。申し込んでいた大きさより大きなダイヤになって帰ってきた時は「娘は亡くなっても頑張ってくれたんだな」と思いました。リングのデザインも親身に相談に乗って頂き、長く愛用できる素敵なリングに仕上がりました。私の住む県はお墓に対する考えが強く、今回初めての申込だったそうです。手元供養の紹介はよく目にするのに周りでは知らない人が多く、「知っていたら私もしたかった」と言っている人もいました。供養の考えも人それぞれだと思いますが、私は生まれてからずっと病院にいた娘を1人ぼっちでお墓に入れるのではなく、私と両親、娘を支えてくれた病院関係者の方や友人、そして娘が亡くなった後に生まれた双子の弟の側でいつも輝いているダイヤモンドにしてよかったと思います。本当にありがとうございました。 2009年8月 富田佐和子様 (石川県)
この輝きに負けないように
あまりにも突然の主人の急死に、ただただ暗闇の毎日の中、メモリアル・ダイヤモンドの事を知り、すぐにお願いしました。
主人は生前海外旅行が大好きで、次はスイスに行きたいと言っていた言葉も私を後押ししてくれました。
数ヶ月待って届いたダイヤは本当にきれいに輝いていて、感動と同時に、アルゴダンザさんと巡り会え、主人の遺灰の一部がずっと光り輝くダイヤとなり私の力になってくれると思っています。
この輝きに負けないように、私自身もこの先、光り輝いた人生を送って行こうと思います。
2009年8月 篠﨑明美様 (東京都)
強くて美しい母が一緒に
美しいダイヤモンドにしていただき、ありがとうございます。
母は強くてたくましい、豪快な母でした。そして若い頃はとても美しかったようで、アルバムの若い頃の写真はどれもきらきら光輝く笑顔です。
この美しいダイヤモンドを受け取った時、まさに強くて美しい私の母だと思いました。少しブルーがかった本当にきれいなダイヤモンドになって、上品な箱に入れていただき、母もきっと大満足だと思います。
母は私の大学進学以来、長い間ずっと独り暮らしでしたが、今は家族皆が見えるリビングにいます。家族旅行に行くときも母と一緒です。こうやって一緒に居れるのも、ダイヤモンドにしてもらったおかげです。
今日もまた、このダイヤモンドを見ながら、私も母のように強く生きていこうと心に誓いました。
2009年8月 高橋龍太様 (神奈川県)
スイスから母が戻ってきたよう
しばらく留守にしていた母が“ただいま。スイスへの旅、良かったわよぉ。”と言って帰ってきたような気がします。
生前、あまりたくさんは旅行に行けなかった母なので、これからは私がこのダイヤモンドを身につけて、いろいろな場所へたくさん連れていってあげたいと思います。このキラキラした母のブルーの光が、私や残された家族達を静かなる道へ照らしていってくれるでしょう。光輝くダイヤモンドになった母と対面して、改めて“今まで本当にどうもありがとう。そして、長い間本当にお疲れ様でした。これからは安らかにいつも側でキラキラ輝いていてネ。”と言いたいです。
アルゴダンザの皆様、いろいろとお世話になりました。
どうもありがとうございました。
2009年8月 R.W.様 (東京都)
主人が生き続けます
主人が闘病の末亡くなり、その後どうしたらいいのか・・・
全て遺骨を納骨するつもりでいましたが、友人からダイヤモンドの事を聞き、すぐにネットで調べました。
わざわざ担当の方が遠方にもかかわらず説明に来ていただき、心の中では決めていました。
そして、少しでも一緒にいたいというだけの気持ちから、ダイヤモンドにする事にしました。
もっともっと一緒にいられるはずだった思いをこめて、これからは一緒にいられます。
とてもきれいに輝いていて、主人が生前行きたがっていたスイスでつくられたダイヤモンドは、私の心の中で、ずっと主人が生き続けます。
本当にありがとうございました。
ご担当していただいた皆様に感謝いたします。
2009年8月 Y.S.様 (埼玉県)
朽ちる事のない美しさ
医者からの突然の末期癌の告知・・・そして毎日衰弱していく妻。その妻がテレビで見て、お父さん、私が死んだらダイヤモンドにしてほしいと。
そして妻がこの世からなくなり、遺骨だけになった妻と一年過ごしました。妻のダイヤになりたいと言う願いだけは達成せねばと思い、アルゴダンザ様にご連絡をしました。
県外からわざわざ遺骨を取りに来てくださってそれだけでもうれしかったです。そして待つこと数ヶ月。
キレイなブルーのダイヤになって帰ってきました。お金がなくて新婚旅行も出来なかったので遺骨を出した時には、心の中でスイスを満喫しておいでと送り出しました。
これからはずっとずっと一緒に居られます。朽ちる事のない綺麗なダイヤで永遠に。ダイヤが手元に届いたときは、やっと妻が家に帰って来たと思いました。
アルゴダンザ様には密に連絡も下さって本当にありがとうございました。
2009年8月 S.B.様 (高知県)
娘がくれたプレゼント
手にした時、思わず“おかえり”と言ってしまいました。
遠い旅をして、とってもきれいになって帰ってきて、よかったね!!って。
18才という年令だったので、お友達は今、留学や就活であちらこちらに飛んでいますが、娘はスイスまで行ってきれいになってたんだと想いました。
私事ですが、私の誕生日の前日に届いたというのも何か、娘が私にくれたプレゼントのように感じました。
これから、毎日一緒に過ごせると思うと元気が出て過ごすことができると思います。
大切に作って頂いてありがとうございました。
長女のリングも大変な注文聞いて頂いて感謝しています。
2009年7月 平山敦子様 (奈良県)
夫が歓喜した地で
この度は誠に有難うございました。
生前二人で各地へ旅行しましたが、夫が唯一歓喜した地はスイスでした。ビデオとカメラを構え、すばらしい山々を撮っていた姿を思い出すにつけ、夫の遺灰ではありますが、再び美しいスイスに行かせてあげられた事は、私にとっても本当に嬉しい出来事でした。
そして、出来上がったダイヤの色は夫も喜ぶであろう色で、涙が出ました。
私がいつか夫の元へ逝った際には話してあげたいと思います。
本当に有難うございました。
追伸―細やかな情報感謝しています。特に成田を出発したときなどです。
2009年6月 小澤俊枝様 (東京都)
感激です
ジュエリーは大好きですが、とてもキレイなダイヤモンドに感激です。
加工は、宝石店に頼むつもりでしたが、特別なダイヤであると言う事と、何より信頼できる所でお任せしたと思い、このダイヤモンドに対する想いがわかるアルゴダンザさんでお願いしました。
心のこもった対応も好印象でした。本当にどうもありがとうございました。
2009年6月 宮田裕子様 (愛知県)
亡くなった夫の眼のようで
ありがとうございました。
すき透ったダイヤは、亡くなった夫の眼のようで、まるで、励ますように、私をみつめている様に感じました。
これからは、ダイヤをのぞき込んでは、夫に話しかけ、相談していこうと思っています。
大切に身につけていきます。
2009年6月 F.K.様 (東京都)
弟の生きた証として
このたびは、弟を素晴しいダイヤモンドに生まれ変わらせてくださり、ありがとうございます。
弟は血液がんの一種である悪性リンパ腫を発症しました。非常に強い化学療法の副作用に苦しみながら、造血幹細胞移植の孤独と辛さに耐えながら、最後の日まで前向きに勇敢に病と立ち向かいました。私はそんな若くして旅立った弟の頑張りを、美しい形で手元に残したいと思いました。そして私が弟の造血幹細胞移植ドナーとして、治療に参加したことも忘れたくなかったのです。それらの思いを残すために、今回ダイヤモンド製作を決意しました。
アルゴダンザ・ジャパンの皆様には、ダイヤモンド製作工程の節々で丁寧な配慮をしていただきました。
遺族の複雑な思いを非常によく理解くださり、安心してお任せすることができました。
今こうして私の手元にある、この美しいダイヤモンドの中に込められた弟の生き様が、永遠に輝き続け、私達の心を照らし続けると信じています。
2009年6月 T.Y.様 (兵庫県)
この方法を選んで本当に良かった
父の遺骨がダイヤモンドになって帰ってきた時、この方法を選んで本当に良かったと思いました。
父は生前から墓は要らないと言っていましたし、私達家族も墓という習慣も馴染まないしと、遺骨をどうするかで散々悩みました。散骨も考えたのですが、やはり、いつも一緒にいられるという事で、いつぞやTVで紹介されていたのを思い出し、メモリアルダイヤモンドに至りました。
父を預けてから、家に届けてくれるまでの丁寧な対応で安心しました。でも、届くまで不安はどこかにあり、本当にダイヤにしても良かったのか、無事に帰ってこれるのかと思うことも多々。
そんな思いも、メモリアルダイヤが届いて全部とびました。予想以上に素敵なダイヤで、お墓より断然こっちだ!と思えました。昼も夜も輝いて私達の側に居てくれるというのが、本当に嬉しく思いました。
母も自分が死んだら同じようにして一緒に持っていて欲しいと言います。私もできればそうしてあげたいと思います。どこか遠い墓で彼岸の日まで一人で待たせてしまうより、身近に人に自慢できる形で側に居てもらえるようにしてもらって、本当にありがたく思います。今度、友人が家に遊びに来たら、「私の父です。」と自慢しようと思います。
2009年6月 武藤由貴様 (大分県)
主人の分も幸せに年を重ねていけそう
最愛の伴侶と突然の別れで悲嘆にくれている時、メモリアルダイヤモンドの事を知り、資料を取り寄せ、お願する事にしました。スタッフの方もとても親切で、スイスへお骨を送ってからも、途中経過を報告していただき、私もスイスは2回旅行に行った事があり、工場はどの辺にあるのかなあとスイスの町並を想い出し、ジュエリーに加工して帰ってくるのを楽しみに待つ事ができました。そして小粒だけどブルーのきれいなダイヤモンドになって帰ってきました。私の大事な大事な宝物です。このジュエリーを身につけていたら、これからの残りの人生、主人の分も幸せに年を重ねていけそうです。
ほんとうにありがとうございました。
大変お世話になりました。
2009年6月 今井眞須美様 (滋賀県)
思いきって連絡して
主人は申し分のない人で、結婚して16年、ずっと支えられていました。
余命半年を告げられ、自宅療養になってからは24時間いつもそばで過ごしました。
亡くなった時、やっと苦しみや不安から解放させてあげられると思い、立派なお葬式をあげる事が私の務めと思いました。
しかし、生活が落ち着いてくると、もっとかける言葉があったのではないか、できる事があったのではないかと自分を責めるようになっていました。
ちょうどその頃、姉から遺骨をダイヤにかえる事ができる話を聞きました。
何事も主人に頼っていた私は、依頼をお願いするまでしばらく悩みました。
思いきって連絡をさせていただくと、とても親身になって相談にのって下さり、途中の経過報告もたびたびあり、できあがりをとても楽しみにして待つ事ができました。
今はサイズ直しをしていただいた主人のエンゲージリングと合わせて、常に身につけて毎日を過ごしています。
本当にありがとうございました。
2009年5月 S.K.様 (兵庫県)
21年分の思い出
母の遺骨をお渡ししてから、約3ヶ月で母がダイヤになって帰ってきました。思っていたよりも早く、しかも想像以上に大きかったので驚きました。
母が亡くなる1年程前、テレビで骨からダイヤモンドを作る技術を見て知ったらしく、自分でパソコンを調べ、「もしお母さんが死んだらコレで指輪にしていつも持っててね」と言われていました。まさか、こんなに早くダイヤになるなんて母もビックリしていると思います。指輪ではなく、ネックレスにしてもらったのですが、家に届き、見た瞬間、涙が止まりませんでした。やっと手元に届いた嬉しさ、ダイヤの美しさ、こんなにも早くダイヤになってしまった悲しさ、寂しさ、・・・。もっと色んなことをしてあげたかった、色んな所へ行きたかった、花嫁姿も孫の顔も見せてあげたかった・・・。でも、このダイヤには私と母の21年分の思い出も入っていると思います。そしてこれからも、このネックレスをつけて、色々な所へ行きたいと思っています。見せる人みんなに「キレイ!」と言われ、母も喜んでいるでしょう。
アルゴダンザの方達は、みなさんとても親切、丁寧に対応していただいて、不安は全くなく、安心して任せることができました。本当に感謝しています。ありがとうございました。
これからも、このステキなお仕事をどうか続けていって下さい。
P・S 担当してくださったスタッフの方、とてもとても親切でよい方でした。本当にありがとうございました。
2009年5月 A.K.様 (静岡県)
2人目の出産に間にあうように
ある日の朝、彼は突然神様の所へ行ってしまいました。通勤中の交通事故でした。本当に、夢でも見ているのではないか・・・・。しばらくの間、脳が考える事、感じる事を停止していました。彼はまだ28才で、あと2週間もすれば2才の誕生日を向かえる男の子と、私のおなかには、待望の2人目の赤ちゃんが入っていました。彼の為にも強く生きなくてはいけない。子供達に心配させてはいけないと、気を張っていましたが、納骨の日が近づくにつれて、どうしようもなく淋しくなってしまい、人から聞いて知ったこちらのアルゴダンザで、ジュエリーを作って頂く事にしました。担当してくださった方も、とても親切で、安心しておねがいする事が出来ました。
フルオーダーのペンダントヘッドを作っていただきましたが、想像以上の美しい出来に感動しました。空が大好きだった主人らしい、とてもキレイなスカイブルーの石・・・。ちょうど半年の命日に帰ってきてくれました。きっと優しい彼は、3週間後に控えた2人目の出産に間にあうように、私達の所へ帰って来てくれたのだと思います。
これからも、彼の優しさを胸に感じながら、彼と一緒に大切な家族の笑顔を守って行こうと思います。ダイヤになった彼の輝きが益すように、残された私達の未来も輝くよう生きて行くつもりです。
2009年5月 M.O.様 (東京都)
パパの想いを伝えてあげたい
とても素敵な仕上りに満足しております。ありがとうございました。
遺骨をひき取りに来ていただいた時、下の娘(4才)に「これからパパは飛行機に乗って、スイスとい う遠い国に行くんだよ。」と説明して下さり、娘も遺骨を快くお預けすることが出来ました。玄関先で「パパ いってらっしゃーい」と元気に送り出せました。
ただ....私も上の娘(15才)も、思ってもいなかった事ですが、どうやら パパがダイヤになって(?)元気に戻ってくると4才の娘の頭では思っていたようです。
今はもう少し、時間をかけて、パパの死を理解させなければと思っています。ゆっくりと・・・・そして、パパのペンダントを胸につけてあげながら、パパの想いを、伝えてあげたいと思います。
2009年4月 佐藤由美様 (千葉県)-
夫の人生のように輝いて
夫がダイヤモンドとなって帰っていた時、ドキドキしてなかなか箱を開けることができませんでした。意を決して対面しました。とても、とても奇麗でした。キラキラ輝いて。夫の人生もこのように輝いていたのだと思いました。これからの私の人生に光り輝いている夫というべきダイヤモンドが、いつでも寄りそっていてくれる心強い気持ちでいっぱいです。私は指輪にしていただきましたが、デザインを決める上で、御相談にものっていただけ、大変気に入ったものとなりました。
また、スタッフの方の対応も気持ち良く、満足しています。本当にありがとうございました。
2009年4月 M.F.様 (千葉県)
思った以上の仕上がり
この度、アルゴダンザ様に巡り逢わせて頂いて感激致しております。思った以上の仕上がりに大変満足しています。これからは、いつも身に着けて大切にしたいと思います。ありがとうございました。
2009年4月 高代明美様 (奈良県)
少しでも手元に何か残したいと思い
この度は大変お世話になりました。無事に戻って来てくれて一安心です。
今はどんなジュエリーにしていただこうかあれこれ考えています。
納骨が近づくにつれて、さびしくて、さびしくて少しでも手元に何か残したいと思い、インターネットであれこれ調べ、たどりついたのが遺骨ダイヤの事でした。そういえば、ニュースの特集かなんかでそのことをやっていたのを思い出し、冗談で「私が死んだらダイヤにしてね」と主人に言っていた事も思い出しました。すぐに電話をすると優しく色々とアドバイスをしてくださいました。お話をお伺いして即決断。その後の対応も迅速かつていねいに応対していただき、安心して今日をむかえることができました。これからは又2人で映画に行ったり、美術館に行ったり、忙しくてなかなか行けなかった旅行も行けそうです。ダイヤのおかげでこの先も楽しめそうな気がします。これからジュエリー加工の方をお願いすると思いますがよろしくお願いします。最後に担当の方、本当にありがとうございました。又お世話になるかも知れませんがよろしくお願いします。
2009年4月 M.T.様 (埼玉県)
希望以上の出来栄え
ご主人の結婚指輪をサイズ調整をしてメモリアル・ダイヤモンドを取り付けた。
正座して、箱を開けました。
亡くなってから約半年....いまだいなくなった事が、信じられない日々です。
届いた箱の中には、希望通りの製品が入っていました。
いや、それ以上の出来栄えでした。
その輝きを見ていると、頼んでよかったと、笑顔になりました。
古い結婚指輪に付けていただいたのですが、それも新品同様に磨いて下さり、とても良くマッチしていて、金額的にも満足です。本当にありがとうございました。
宝物が出来ました。
2009年4月 M.Y.様 (東京都)
天国からのスィートテンダイヤモンド
夫の帰りをどんなに待ちわびたことでしょう。
「お帰り。今度は永遠に一緒だね。」と声をかけました。
無色透明、本物のダイヤモンドと全く見分けがつきません。
いえ、本物より輝きは深いと思います。
世界にたった一つだけの私だけのもの。
昨年の結婚記念日は結婚丸10年を迎えるはずで、「スィートテンダイヤモンドだね。」と話していました。
彼は、自分がダイヤモンドとなって、私に指輪をプレゼントしてくれたんですね。
先に作ったグリーフペンダントとおそろいです。
ありがとうございました。
こうしてまた彼を生き返らせて下さり、心から感謝しております。
貴社と巡り会えてよかったなぁ~。
2009年3月 木田容子様 (京都府)
最後の旅行の地、スイスに不思議な縁を感じて
この度は大変御世話になりありがとうございました。
皆々様のお陰で、この様な最後のプレゼントを主人から届けてくれたものと思い、又お守に話しかけながら、一緒に出かけています。
最後の旅行がスイスであった事も不思議な縁だと感じています。
子供達には、リングかトップを私が他界した時、どちらか一つを棺に入れてほしい、一つだけお父さんの形見として大切に持ってくれる子供に託したいと考えています。
私が想像していた以上の出来ばえに満足しています。
何回も足を運んで頂きました担当者の方には、本当に感謝しています。
主人がクロアチアに行きたがっていたので、5月中旬一緒に旅行してきます。
出来ますれば散骨が最高の喜びだと考えています。三回忌までに納骨し土に返して上げたいと思っています。
皆様本当にありがとうございました。
2009年3月 田中八重子様 (滋賀県)
残りの人生 二人で歩んでくれる事を願って…
父と母。残りの人生 二人で歩んでくれる事を願って・・・
もうすぐ定年。今から親孝行を・・・と思っていた矢先。父は59年という短い人生にピリオドをうちました。『メモリアルダイヤ』という言葉はテレビで見て知っていました。姉と相談し母にプレゼントする事に決めました。ネットでいろいろ調べ、アルゴダンザさんにお願いする事にしました。
とてもていねいな対応で気持ちよかったです。
姉と「お父さん、はじめての海外だねえ」と話しながらとても心待ちにしてました。父が帰ってきたときは、おもわず「おかえり」と・・・
父らしい輝きで言葉にならない感謝でいっぱいです。
アルゴダンザさんに出会え、本当によかったです。
この先の人生、夫婦として2人でよりそっていっぱい思い出を作ってほしいです。そして、父にはいつまでもそばにいて母を見守っていてほしいです。 2009年3月 K.E.様 (岐阜県)
私から娘に末長く
ありがとうございました。
娘もきっと気に入ってくれると思います。
娘には末長く大切にしてもらいたいと思います。
2009年3月 Y.T.様 (埼玉県)
これからも妹を支えにして
待ちに待っていた妹のダイヤと対面した時、表現し難い感動で胸が一杯になりました。清冽な美しさはもとより、これが幸ちゃんなんだ、生涯の支えになってくれるだろう、リングと共に苦しいこと
があっても共に生きていこうと思いました。
本当にありがとうございました。
妹があんなに行きたがったスイスを旅してきたのね。幸ちゃんよかったね。と思わずリングを胸にして言いました。ひとりでもひとりぼっちじゃないんだとね。
2009年2月 T.I.様 (東京都)
ダイヤとなった母と共に登山に
その度進行状況をお知らせいただきありがとうございました。特にスイスに到着した時電話をいただき、私も母もスイスにいったことがなく大変感激しました。ネックレスにして常時身につけていようと思っていましたが、もし紛失したらと思って自室の壁に吊ってあります。私は登山が趣味でたまの訓練の為20番札所鶴林寺(516m)に登っていましたが、母が調子が悪くなってから1年近く登っていませんでした。先日ダイヤモンドとなった母と共に登りおまいりをしてきました。
いろいろ配慮をしていただきありがとうございました。
2009年1月 Y.Y.様 (徳島県)